5月13日(月)から5月24日(金)までの2週間でリフレッシュ休暇を取得した。前半1週間で車で一人旅してみたのでその旅のことと振り返りを書いてみる。
旅の概略
元々はこの休暇の計画をまともに事前に立てておらず、ともすれば2週間自宅にいるかもしれなかったが、妻が「外に行って欲しい」と言ってきたので、車でギリギリ行けそうな距離で行ってみたかった島根県に行くことにした。今年から神社の御朱印集めをやり始めたこともあって島根の出雲大社に行ってみたくて、一人旅なので神社巡りをテーマに旅をしてみることにした。Google Mapを開いて、「神社」で検索をして気になる神社にピンを押し、旅程を立てた。実際は次のように行動した。
- 一日目:「氣比神宮」→「元伊勢内宮皇大神社」→兵庫で宿泊(宿)
- 二日目:兵庫→「足立美術館」→「江島大橋」→大根島で宿泊(宿)
- 三日目:「出雲大社」→「須佐神社」→「松江城」→「松江護国神社」→大根島で宿泊
- 四日目:雨風のため大根島の宿で過ごす
- 五日目:大根島から帰宅
車の総走行距離は1217kmだった。一人行動としてはかなり走ったんじゃなかろうか笑。道中、車についているACC(アダプティブ・クルーズ・コントロール)機能のおかげで、アクセル操作などをほとんど気にすることなく、COTEN RADIOを聴きながら割と楽しく移動できていたので、この移動距離はそれほど大変ではなかった。むしろこれだけ長時間長距離を運転して苦ではなないということは、車の運転は好きな方なのかもしれない。(「ACC使っておいて何言ってんねん」という批判がありそうだが笑)
振り返り
ところで唐突だが、「一人旅」と聞くと一般的には「自由で楽しそう」と連想する人がほとんどだろう。しかし、正直私はそうとは言い切れない結果となった。五日間も一人旅をしたが、楽しかったかと聞かれると「そうでもなかった」という答えになりそう(しかし、思い出にはなった)。正直そんな会話をリアルですると場が冷めてしまいそうだが、もしそう言われたら理由が知りたいだろう。私もその理由を言語化してみたい。なので、ここからは「一人旅がそんなに楽しくなかった理由」を考察してみたいと思う。
一人旅の中での主要な行為を列挙し、「楽しかったこと」「楽しくなかったこと」で分類してみる。
- 楽しかったこと
- 車の運転
- 宿での読書や勉強などの一人時間
- お土産を選ぶ
- 宿で出会った宿泊客との会話
- 楽しくなかったこと
- 観光
- 食事
まず、「楽しかったこと」から、「楽しい」という感情に至った理由を考えてみる。(以下私個人の価値観です)
- 車の運転 / 宿での読書や勉強などの一人時間・・・その行為自体が好きで「楽しい」に至ったと考えられる。(以降、「自己満足型」と勝手に呼ぶ)
- お土産を選ぶ / 宿で出会った宿泊客との会話・・・お土産を渡す者を思うこと、また、他者との会話によって知らない情報を知ることができて「楽しい」に至ったと考えられる。(以降、「感情共有型」と勝手に呼ぶ)
つまり、「ある行為」から「楽しい」に至るためには、以下の2つの条件のうちどちらかを満たす必要があると仮定できる。
- 自己満足型・・・その行為のみで充足感を得られる
- 感情共有型・・・他者と交流し感情を共有することで充足感を得られる
このように整理すると、たとえ「自己満足型」に該当しなくても、「感情共有型」を満たすことで「楽しい」に至ることができるので、これは直感に反していない感じがある。
このことから「観光」「食事」が楽しくなかった理由は、「観光」「食事」は私にとって「自己満足型」ではなかったこと、また、「感情共有型」を満たすこともできなかったからだと説明できる。「感情共有型」を満たせなかったのは「一人行動旅」だったからだと言える。「一人行動旅」と書いたのは、「一人旅」であってもツアーなどで行動を共にし交流が発生する他者が存在すれば「感情共有型」を満たすことが可能で、それと区別する必要があるからだ。
端末の電池がなくなってきたので締めるとするが、要するに寂しかったのだ。観光を通じて見聞きして感じたことを話したいし、美味しい食事を食べたら「美味しいね」と言葉を交わしたい。それは一人では叶わないのだ。私は二度とこのような一人行動旅はしないだろう。あるとしても、日帰りか1泊が限界だ。